家庭の真ん中は子どもじゃない。

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午前中にブログを書こうと思ったのに、
いざPCの前に座ったらテーマが出てこない。

 

あれ?書くことあったはずなのに…
と思ったけれど今度は眠気が襲ってきて、

 

そのまま1時間ぐらい昼寝して、
その後、なんとなくしーちゃんこと
旺季志ずかさんのブログタイトルが
気になってそのまま読んだ。

 

・・・
これが今日のテーマだったのか( ̄_ ̄ i)

「魂の仕事」はめんどくさくてワクワクしないかもよ

 

昼寝する前に、
学校から来た手紙を見てた。

 

その中に
こんな一文があった。

 

ーーーーー
家庭の中の工夫
〜子どもがまんなか!〜

(中略)

親にとっては要となる
子どもを真ん中にした
【家庭の中での工夫】に
ついて確かめ合いましょう。
ーーーーー

 

*****

 

子どもの可能性を伸ばして育てたい
そんな教育をしてくれる
自由な学校に入学させたい

 

夫とは結婚する前から
そんな話をずっとしてきた。

 

それをベースに娘の学校も選んで決めた。
そのために新潟→福井→神奈川に移住した。

 

でも、
この時はまだわかっていなかった。

 

子どもの可能性を伸ばすって
どういうことか?
子どものありのままを認めるって
どういうことか?が全然わかってなかった。

 

これに気づいたのは
エイブラハム理論に出会った2年前。

 

エイブラハム理論を
実践していくにつれて、
子育ての核となるのは
親の自己受容なんだとわかった。

 

親が自己受容できてるからこそ、
子どものありのままを認めることができるし
子どもの可能性を伸ばすことができるんだ。

 

それに気づいたら、
今の学校に通わせることに
どんどんと違和感を感じて来た。

 

この学校の教育システムは素晴らしい。
これはたくさんの人に知ってほしいとは思う。
でも、何かが違うんだ、何かが違う。
その何かってなんだ???

 

それがずっと疑問だった。
でもその答えが今朝の手紙の中にあった。

 

子どもが真ん中

 

あー、
私たちがこの学校に
感じていた違和感の正体は
これだったんだ。

 

子どもを真ん中に置いていた時、
私は子育てが苦しくてたまらなかった。
私がどんどん不自由になっていったから。
学校の話なると夫婦喧嘩になることが多かった。

 

子どもも私も夫も真ん中にしたら
どんどん家族が自由になっていった。
家族がどんどん平和になった。
学校のことで揉めることがなくなった。

 

真ん中になるのは
子どもだけじゃないんだよ。
パパだってママだって
家族の中では誰一人
外野なんていないんだ。
誰もがみんな真ん中だ。

 

これが私の確信になった。

 

*****

 

薄々思ってた。

 

この学校は違うかも…と気づいて
この先どうする?って思った時に

 

もう学校という組織に求めるのは
違うのかもしれないな、って。

 

自分たちが望むスタイルって、
自分たちで作る(創造する)
しかないのかもしれない、って。

 

そうは思っていても、
何を望むのか、どうしたいのか、
全然明確にしてこなかった。

 

っていうか逃げていたんだ。
わかっちゃいるけど、
そうはいっても、学校に預けてたら
ラクなこともたくさんあるし、
それなりに回ってるから…ってスルーしてた。

 

でも今朝の手紙と
しーちゃんのブログ読んだ時、
そろそろ真剣に取り組む時期がきてる気がした。

 

・・・

・・・

・・・

 

いや〜、だけど、面倒臭い。
今の環境も普通の学校に比べたら、
ありがたい環境ではあるし。

 

それでも、
この違和感を抱えたままいったら、
きっとサインはでかくなっていく。

 

それもわかるから
今日はこうしてブログに書くことに決めた。

 

まずは動き出す!と決めることから。
亀の一歩でコツコツと🐢🐢🐢。

 

☆友美子☆

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